今日はご近所のお友達のご主人の告別式に行って来ました。
最後のお別れでは、
参列者が棺の中に祭壇に飾られていたお花を
順番に入れていって、それぞれ声をかけていました。
ご主人が大好きだった『ココナッツサブレ』も一緒に。
最後には妻のKちゃんが、
ご主人Mさん愛用の眼鏡を持って、
「Mさ~ん!眼鏡も一緒に入れとくから、
向こう行ったらこれ掛けて運転するねんで!」
って一緒に入れてあげてました。
妻のKちゃんは気丈にしっかりとお見送りしてましたが、
これから少しずつ、いなくなった事を実感していくのでしょうね・・・
お別れは寂しいです・・・
でもいずれ皆が行く世界に、
少し早めに行っただけなんですよね。
正直言うと私、
人が亡くなる事が『不幸』だと思えないんです。
これって不謹慎かもしれませんね・・・
気分を害したらごめんなさい。
でも私は悲しい事だし寂しいんだけど、不幸とは違う気がします。
不幸、可哀そう、っていうのはこの世の概念で、
もしかしたらあの世では違うんじゃないか?
って思う。
もしかしてあの世で、
『お疲れ様!下の世界でよく頑張ったよね!おめでとう✨』
ってお祝いされてるんじゃないか?って。
これはあくまでも私個人の勝手な想像です・・・
ここ1、2年のご家族の事を考えてたら、
凄く不思議というか、ご主人の愛を感じたというか・・・
もし今でも商売を続けていたら、
妻のKちゃんはとても大変だったと思います。
それがコロナの影響で店を閉めて、
Mさんがお元気な時に全て片付ける事ができた。
そしてそれぞれ仕事をみつけて、
彼女は会社で社会保険も入れてもらってて。
Kちゃんは1人になってしまったけど、
突然の死に路頭に迷う事も無いんです。
まるでこうなる事が分かってたかのようです。
お店を閉める事になった時は、
苦渋の決断だし、彼女も相当ショックを受けてました。
久々に外に出て働く事の不安もあっただろうし。
その直後にMさんの病気が発覚して、
「なんで私たちばっかり💦」
って泣いて嘆いていました。
だけど今になって思うと、
『なるほど、こういう事だったんだなぁ』
って分かります。
一見、しんどい出来事でも
後になったらちゃんと納得できてるんです、
全てに意味があるから。
今日はきちんとお別れが出来て良かったです。
またいつか会える時まで。